早稲田大学狂言研究会の日記

早稲田大学狂言研究会 公式ブログ

  • 投稿者:きんに君

夏休み親子のための狂言の会
2006年7月28日 16:00開演
国立能楽堂

狂言『盆山』(大蔵流
男・・・大蔵教義
亭主・・・大蔵吉次郎

 和泉流の盆山よりも手が込んでいる。野村家は吉垣を破ればすぐに盆山にたどり着くのに、こちらは塀を破ってその下を潜り抜け、さらに雨戸まで開けて屋敷に侵入している。盆山というのが今で言うところの箱庭のようなものだったらしいことを考えると、屋内に飾ってあるほうが自然であるし、それなら大蔵の演出のほうがよりふさわしいように思える。

狂言『棒縛』(和泉流
太郎冠者・・・野村萬斎
主・・・野村万作
次郎冠者・・・石田幸雄

 狂言においては、酒を呑んで酔っ払う描写はよく見られる。しかし、「酔う」表現というのはなかなか難しいものであるらしい。日常生活で酒に酔えば、ろれつが回らなくなったり足取りがふらついたりといった行動が出てくるが、舞台ではそのような振りを出さないで、酔わなければならない。
 萬斎師の太郎は、縛られての舞は少々オーバーだったが、最後に主を棒であしらう所は、酔っている時の軽妙さがとても面白い。いつ観てもいい。

狂言『首引』(大蔵流
親鬼・・・善竹十郎
鎮西方の者・・・善竹富太郎
姫鬼・・・善竹大二郎
眷属・・・大蔵基誠、榎本元、宮本昇、吉田信海、大蔵千太郎

 まずはアドの鎮西方の者(源八郎為朝)が登場。緑に金の刺繍のある半被に、白の大口袴という出で立ち。見るからに美丈夫であることがわかる。富太郎師の堂々たる体躯は、この役にピッタリ。
 鎮西が播磨国の印南野へ差し掛かると、にわかに空がかきくもり、鬼が「いでくらおう!」と姿をあらわす。余談だが、狂言『清水』の舞台も印南野である。本物と偽者の違いはあるが、どちらも鬼が登場する曲である。印南と言えば鬼が連想される時代が、かつてはあったのだろう。
 親が「喰い初めをさせよう」といって連れて来た姫鬼は、黒頭に乙の面。この面は普通の女の役でも付ける事があるが、その場合はおへちゃ顔の女性と決まっている。やっぱり「姫でも鬼は鬼」ということか。

 面白かった。鎮西には強気に出るくせに、娘に対してはデレデレになってしまう親鬼の様子がこの曲のミソなのだが、それよりも鎮西の咳払いにまでいちいち悲鳴を上げる、姫鬼の怖がりぶりが面白い。これは大二郎師の良さが出ていたと思う。
 しかし、最後の首引のところは、シテと眷属たちの謡の拍子がいま一つ合わず、盛り上がりに欠けたように感じる。面を付けている上に、首引をしながら謡うわけだから、合わせづらいのだろうが・・・