早稲田大学狂言研究会の日記

早稲田大学狂言研究会 公式ブログ

  • 投稿者:きんに君

能楽座自主公演 〜追悼・八世観世銕之丞七回忌〜
2006年7月13日 18:30開演
国立能楽堂

五時間目のゼミが終わってから、30分で直行しました。
ゼミの先輩から、「何で最後の飲み会休むのよー」と言われました。だから、その分楽しめる会であることを期待。席は脇正面席GB2-6。

舞囃子『當麻』片山九郎右衛門
笛…藤田大五郎、小鼓・・・曾和博朗、大鼓・・・山本孝、太鼓・・・金春惣右衛門

 隙のない、見事に整えられた舞。舞というものは、能舞台を中心に外へ広がり、また中心に戻ろうとするものだと聞いたことがあるが、九郎右衛門の舞はまさにそれだった。見所は脇だったが、見ごたえ十分。

小舞『景清野村万作
小舞『楽阿弥』山本東次郎

 万作師75歳、東次郎師70歳。でも芸に年齢なんか関係ない。二人ともはつらつとしていたのが印象的です。
 もちろん、舞自体の雰囲気はかなり異なります。万作師の華麗で洒脱な舞いは素晴らしかった。扇を前に指すところは、あふれ出る勢いが感じられた。また、東次郎師の序破急をはっきりと使い分ける運足は見事としか言いようがない。
 ただ、地謡には少々不満。『景清』は、深田・高野両師が合わせようとしていたのに対し、地頭の萬斎師が目立ちすぎ。『楽阿弥』は、地頭の則正師・則俊師と、則重・則孝両師の間に、芸歴からくる実力の差を見たような気がする。

一調『松山鏡』観世銕之丞 太鼓・・・観世元伯

仕舞『鐵輪』粟谷菊生

仕舞『綾鼓』近藤乾之助 
今晩の番組の中では一番良くなかった。舞手にも地謡にも覇気が感じられない。

仕舞『羅生門』宝生閑
 ワキ方の仕舞を見るのは初めて。でもいい物を見た。今晩の中では一二を争うくらいの充実さ。名乗り座ではすを向いてシテ柱の上を見たところが良かった。地謡の息もピッタリ。

一調『琴之段』観世榮夫 小鼓・・・観世豊純
 鼓の観世豊純師は、鼓を打つときに異様に手が震えることで有名。今日も鼓を持つ手がガタガタいっている。見ていると集中できないので、目をつぶって聞いて見ることに。
 すると、いままでちゃんと聞こえなかった鼓が、震える手でもちゃんと打ち分けられていることに気づく。なんだか感動した。「見た目に気を取られていると、真実を見失うことがある」というのは、使い古された言葉だけど、真実なのだと気づく。

一管『平調音取』松田弘
 能管は、人の声と同じくらい、雄弁に謡う。能管の音の揺らぎは、人の声の揺らぎを再現しているのだと気づいた次第。

独吟『狐塚小歌茂山千作
 茂山の狐塚は映像でしか観たことがないが、好きな狂言の一つ。そのハイライト、太郎冠者と次郎冠者が鳴子を持って、囃しながら鳥を追い払う場面で謡われるのがこの曲。千作師は、「ホーイホーイ」の掛け声は弱かったが、それ以外は元気に、楽しそうに謡っていた。最後にはプログラムにはないサービスも。ちょっと微笑んでしまった。

独吟『小原木』茂山忠三郎

独吟『わたしが一番きれいだったとき』茂山千之丞
 問題作。詞は茨木のり子。メッセージ(特に反戦の声)を能楽に含めることについて考えさせられる一曲。ただ言えることは、この詞は謡には合わないという事。

能『恋重荷』
前シテ・・・大槻文蔵
後シテ・・・梅若六郎
ツレ・・・梅若晋矢
ワキ・・・福王茂十郎
アイ・・・山本泰太郎
笛・・・藤田六郎兵衛、小鼓・・・大倉源次郎、大鼓・・・安福建雄、太鼓・・・三島元太郎
後見・・・観世銕之丞、武富康之、山崎正
地謡・・・谷本健吾、長山圭三、馬野正基、角当直隆、柴田稔、清水寛二、観世銕之丞、西村高夫

 前場。荷を持ち上げられず、ツレのたくらみに気づいて怒りの絶望に満たされる前シテ。池に身を投げた前シテの謡は、ぶつりと切れるように終わる。早足で幕へと下がる前シテに漂う気。緊張に満たされる見所。
 後場。怒りに燃えて後シテ登場。ツレを苦しめる。謡「浅間の煙 あさましの身や 衆合地獄の 重き苦しみ」だけで、ツレが頭をかきむしり、罪悪感にもだえる。詳しく語るよりも雄弁である。
 最後に。後見が荷を持ち上げて、幕の中へと運んでいく。持ち上げる瞬間、今まで老人を苦しめた恋重荷が、ただの張りぼてと化す。とたん、能舞台はただの空間と化す。祭りの後の寂しさ。

充実の演目だった。ゼミの飲み会蹴っただけのものがあった。