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- 投稿者:がっつさん
山本泰太郎氏が大好きだ。
あの額に光る汗が好きだ。
脳裏に流れるBGMはもちろん忌野清志郎『パパの歌』だ。
ひるまの〜ぱぱ〜は〜 光ってる〜
ひるまの〜ぱぱ〜は〜 男だぜ〜
そんな泰太郎氏が『花子』を披く山本会別会に足を運んだ。
以下、僭越ながら簡単に感想まで。
於:国立能楽堂
狂言『素袍落』 太郎冠者:山本則俊
主 :山本則秀
伯父 :山本東次郎
・山本家の畳み掛けるようなセリフの応酬にはいつも息を呑む。時にはセリフが重なってしまっているのだからもはや「間」とすら言えないのかもしれないが、そのいわゆるキャッチボールというような関係性を超えたような鋭い掛け合いは身のこなしのキレと相まってセリフ劇たる狂言でありながら不思議な生々しさを際立たせ、その計算され尽くした演出にはため息しか出ない。山本家の狂言にはいつもピンと張り詰めた細い糸のような緊張が舞台に現れ、少しのほつれでプツンと切れてしまいそうな恐れさえ時に感じてしまうが、それも私の素人たる杞憂でしかないのだろう。張り詰めたまま、演者が退場し、場が現実に戻った後の、何故かほっとしたような、早打つ鼓動を感じているときのカタルシスはなにものにもかえがたい。
狂言『花子』 夫 :山本泰太郎
太郎冠者:山本則直
妻 :山本則考
・私がまだ狂言を見始めの頃、「鎌腹」シテを演じてられた泰太郎氏の姿に魅せられ、その後何かの大名狂言で新参者を務めた同氏の、大名の目遣いに脱兎の如く(?)駆け回り、橋掛かりまでダッシュで退いて目をカッと見開いたまま微動だにせず荒い呼吸を一心に静めようとし額から滝のように汗を滴らせている姿に、すっかり虜になってから二年あまり。大曲という『花子』シテを演じる泰太郎氏は極度の緊張からか出始めは少し固く、声にもいつもの伸びやかさがなかったかのように感じた。それでも80分もの大曲を演じきられた姿にはやはり拍手。どこか漂うぎこちなさをありあまるひたむきなエネルギーで懸命にカヴァーするのが同氏の魅力(と私は勝手に信じている)。パンフレットの挨拶に東次郎氏の泰太郎氏を気遣う言葉が載せられているが、それを読んだ後の、後見に座る東次郎氏の泰太郎氏を見つめる視線がとても印象的だった。
小舞『鵜の鳥』 :山本凛太郎
『楽阿弥』 :山本則考
『菓争』 :山本則重
山本則秀
・とにかく凛太郎君の舞に脱帽の一言。大学の部活動で狂言を習う私などより遥かに稽古暦が長いのも事実だが、それにしても小学生であの身のこなしのキレ、すり足、舞台を縦横無尽に駆け回る姿、恐れ入りました。
ところで国立の能舞台で山本家の舞う姿を見ているにつれ、どこかに違和感を感じてしまった。そして脳裏には杉並能楽堂のイメージが……。もちろんプロは舞台を選ばないだろうし、小奇麗で眩しい国立の能舞台もいいが、やはり山本家は、黒光りして古く落ち着いた杉並の能舞台を踏む姿が似合うとふと思う。
素囃子『盤渉序ノ舞』 笛 :竹市学
小鼓 :曽和正博
大鼓 :佃良勝
太鼓 :梶谷英樹
狂言『政頼』 鷹匠 :山本東次郎
閻魔王 :山本則重
地獄の鬼:山本泰太郎
山本則考
山本則秀
遠藤博義
若松隆
地謡 :山本則直
山本則俊
平田悦生
・稀曲という狂言『政頼』の上演。狂言で演じられる鬼は時に人間よりも人間臭く可笑しさ漂うが、ここでも閻魔を筆頭に地獄の鬼たちは政頼の獲った獲物の旨さに喜び、娑婆に帰す代わりに獲物を地獄へ届けよと言いつけて政頼を元の現世に帰し、名残惜しさに冠を土産に持たせる、なんとも微笑ましい展開。鬼役の泰太郎氏が大曲を演じ切った後の安堵感(?)からかキレのあるのびのびとした声と演技を取り戻していたように感じた。やはり素敵です。閻魔や鬼たちがずらっと並んでも、もともと山本家は直面の方が鬼の面より恐いから(もちろんいい意味で、である)、緊張感が張り詰めながらも不思議とほのぼのと心地よい感じだった。終わってから舞台外に落ちた鷹をささっと取りに現れた凛太郎君に思わず拍手。