早稲田大学狂言研究会の日記

早稲田大学狂言研究会 公式ブログ

  • 投稿者:筋太郎さん

国立能楽堂 十一月特別公演
【蝋燭の灯りによる】
2005年11月25日(金) 18:30〜
国立能楽堂

新作狂言死神』(大蔵流)
男・・・茂山千三郎
死神・・・茂山あきら
女・・・茂山七五三
使用人・・・丸石やすし、茂山宗彦茂山逸平

この狂言は、同名の落語を基に笛の帆足正規氏が創作し、さらに原作の落語自体がグリム童話を下敷きにしているという、異色の作品です。
もととなった噺を作り出したのは、明治時代に活躍した名人・三遊亭円朝。音源は残っていませんが、それゆえかその話のうまさが伝説と化しているという人なのだとか。

原作の落語は、借金で首が回らなくなり、自殺を考えた男の前に、自分と「深い因縁がある」という死神が現れます。死神は、死ぬ定めの病人とそうではない病人との見分け方を教え、男に医者になるように指南します。〈序盤〉
男は言われたとおりに医者になって大金持ちになりますが、財産を浪費して瞬く間に使い果たし、無一文に逆戻り。〈中盤〉
再び医者で金儲けをしようとするものの、大金に目がくらんで死ぬはずの病人を生き返らせてしまい、結果死神に命を奪われる〈終盤〉、とこういった粗筋です。

狂言」にしては、上演時間が長い作品です。計ってみたら45分かかっていました。
落語での中盤部分は、狂言ではばっさりとカットされていましたが、筋書きは落語にきわめて忠実なものでした。男が自殺しようとする所は、原典のせりふをそのまま引き写してきた観もあります。

今回観るに当たって一番注目していたのは、
「結末において男が死ぬかどうか」
でした。
原作の童話では、主人公は死神にあの世に連れて行かれます。落語でも、男が死ぬというオチが普通ですが、後に多くの落語家が新しいオチを編み出し、その中には男が生きて帰ってくるというものもあります。
狂言では、人の死を直接的に描くものはありません。あったとしても、少なくとも観たことはありません。だから、どのように落とすのかに興味津々でした。

結論・・・やっぱり男は死にました。しかも落語と同じやりかたで。
最後に、死んだはずの男が立ち上がって、死神の後について舞台を下がっていく姿には、やはり違和感があります。
素人考えですが、能『紅葉狩』の鬼女のように、男を切り戸から退場させた方がいいのではないかと思います。あるいは、男が生き返るように結末を変えるとか。


能『経政』烏手(喜多流)
シテ(平経政)・・・塩津哲生
ワキ(僧都行慶)・・・江崎金治郎
笛・・・杉市和、小鼓・・・大倉源次郎、大鼓・・・亀井広忠
後見・・・中村邦生、佐々木多門
地謡・・・大島輝久、金子敬一郎、友枝雄人、内田成信、狩野了一、香川靖嗣、友枝昭世、大村定

死神に集中しすぎたせいか、能では集中力が切れてずっと寝ていました。
というわけで、僕にはコメントできません。ごめんなさい。